昨日、1ヶ月遅れの「汐風」を投稿し、今日は今月分のエッセイを投稿。
本当に多忙だと頭の中の整理がおろそかになる。
これは、日々のルーチンワークをこなしているのがやっとということで本来、月初め処理とかが見えなくなる。

 

そしていつの間にかに梅雨が明けた。
突然、日本列島は猛暑を通り越して、灼熱地獄だ。

私が1990年1月にミノルタカメラ(当時はそういう会社名)に中途入社兼新人で厚木開発センターに所属したのを思い出した。
仕事が多く、何をやるにも新人はこなさねばならない。
いわゆる仕事と情報の雪崩であった。


当時の所長が倉本さんというお方だったが、定年された。
本当に穏やかなお方だった記憶しかないが昔はどうだったかはわからない。

その後の所長がたまたま、私がアメリカで親しくしていたご家族のご両親が経営していた会社とミノルタがライバル関係のプリンタ開発部の所長に代替わり。

当時の1980年代後半はミノルタは大型のインクジェットプリンタを開発していて、高解像度インクヘッド技術で遅れを取っていた。
しかし、その技術は後に他展開するようになり(PLZTヘッドとか)、また別の花を咲かせた。
ちなみに、その所長がプリンタ開発部の部長でもあり、よく私が朝一番に会社に来て海外とのやり取りをしているのを見てきた人だった。

そう、その所長のお名前は鳥海史郎さんだった。

今、鳥海さんがどうなさっているかはわからない。
調べても最新のことが2010年のことしか出てこないから、その後の活躍は不明だ。