敬愛するにゃんこラブの株式会社ツタワルの川村さん
ニャンコ事業の立ち上げ

https://note.com/kawamura_sayuri/n/n067bf97530bc

かれこれ55年くらい前、うちに野良猫が住んでいました。
うちに飼われていたから「元」ですね。
名前が「ぴー」
なぜなら「ぴーぴー」泣いていたから。

ぴーは柴犬のサンデーと秋田犬キクといっしょに暮らしていました。
柴犬と秋田犬、ぴーのことをかわいがっていました。
たまにいたずらもしていました。

実家の隣が空き地で、3匹一緒によく脱走していました。
実際、脱走するのは犬2匹でぴーはもともと野良だから自由に出入りしていました。

そんなある日、サンデーとキクがぴーをくわえて脱走。
ぴーを隣の空き地を土埋めにしたのです。
ココホレワンワンで穴を掘ってぴーを埋めて逃走!

ナンちゅうワンコたちだ!

まぁ、ぴーはぴーぴー泣いて助けを呼んでいたのに母が気づいて大慌て。
夕方、ご飯の時間にサンデーとキクは戻ってきました。

それからしばらくしてぴーが亡くなったのかな。
もともと野良だったから。

そのうち、ヒマラヤンのジャンボが我が家にきた。
このニャンコは私の人生で一番古い友人の実家と冷蔵庫と交換(笑)
そこの実家は動物病院。
未だに友人とは付き合いがある。

実は、この友人を川村さんのにゃんこ取材で紹介しています。

コテツとプフとさちさんの物語り
茅ヶ崎駅を降りると、どこからともなくサザンの歌が聞こえてくるような気がします。やっぱり茅ヶ崎は何かドラマが生まれそうな町で
necotto.jp

ジャンボはお腹に腫瘍がありました。
それでも13年も我が家で生きていました。
どうも私にはなついていて、どこでも一緒についてきました。
その反面、うちの姉のことをかなり嫌っていて、いつも悪さをしていました。

姉はサンデーとキクが大好きでした。
ジャンボがうちに来たときはサンデーはこの世にはいませんでした。
キクはいましたがかなりの老犬。
サンデーは7歳くらいで亡くなり、キクは13年。

このヒマラヤンのジャンボは私の腕の中で息を引き取りました。
その後、ジャンボの霊はずっと私の近くにいたのも見えてました。
私のはそういう能力があるのでね。
実はかれこれ35年くらい会っていない従姉妹がいます。
彼女は当時、恐山のイタコからスカウトが来たくらいでした。
今でいうインターネットがない時代です。
恐るべし恐山のネットワーク網!

川村さんとの出会いは、数年前のLinkedInでした。
当時は友達でもなくフォローもしていませんでしたが、
にゃんこ取材の投稿を発見して、連絡を取りました。

かれこれ10年くらい、私は世界中の猫カフェを訪問していました。
このコロナとロシア・ウクライナ戦争がなければもっと行っていただろうと。

シンガポールの猫カフェ「NECOTTO」!!!

世界の猫に会いに行く男
台湾 猫村・猴硐(ホウトン)の猫たち 台湾の猫村・猴硐(ホウトン)をご存じですか?今猫好き仲間では注目されている場所です。
necotto.jp

この猫の取材、川村さんに何名かネコスキー友人らを紹介し記事になっています。

その後、どうしても川村さんの猫への愛情を支援したく、
去年、日本外国特派員協会(FCCJ)でNecottoのイベントをスポンサーしました。

更にここの投稿でも2月に2週間くらい、私の投稿の下に川村さんの「猫の日」イベント告知をしていました。

今後ともNECOTTOさんをよろしく。