この多忙の中、新人たる者は上から流れてくる作業を卒なくこなすことで一人前になっていく。
いわゆる試練でもあるが、業務効率をここで学ぶ。
それだけではなく、自分で考えるようになる。

エンジニアで大切なのは、業務効率と開発速度である。

1990年にはSlackなどなかった。
まして社内の電子メールなんかも存在していなかった(情報システム部の一部は社内の特殊システムを利用していたみたいだ)。
当時、「インターネット」ってことばすら存在しなかった。
まして、Windowsも2.xの時代、MS WORDやEXCELもまだマック版でしか存在しない時代で、WORDはWIN WORDという名前でマイクロソフトが販売していた。
表計算はLOTUS 1-2-3が標準、クロスプラットフォームではMSがパソコン(マック含めて)からメインフレームまで動作する「マルチプラン」というアプリがあった。
そんなの知っているのは化石みたいな人間しかいないだろう。

RadioShack TRS-80 PC

新人は色々な雑務をすることで業務を覚える。
やらなくてもいいよな仕事まで日本の企業はさせる。
これはオールマイティーな人を作るにはいいが、効率が悪い。
まして、人には得手不得手がある。

私は当初から実家で夜は葬儀屋の仕事をしているから、電話処理はピカイチ速度だった。
新人とは思えない処理能力とも言えよう。
自分の作業を中断し、ワンリングでピックアップし、処理。そしてまた切り替えて作業に戻る。
これはすごく危険ではあり、効率が悪いことも承知していた。
だが、部署内で居室で鳴る電話の処理をしない。

こういうのが悪いところなんだなと。


鳥海さんの話に戻そう。

当時、鳥海さんが私にいくつか大切なことを教えてくれた。
これは未だに、自分の中の座右の銘として残してある。

一つが、政治が三流のところは経済も三流

一つが、仕事はできるやつに流す(落とす)

政治が三流の日本。

これは小国がサバイブするやり方である。
長いものには巻かれろという日本人の立ち位置でもある。
まして、アメション(アメリカがしょんべんすれば日本もしょんべんする)という具合いに一心同体関係でもあり、日本は独立していないことを意味していた。
そして、当時、石原慎太郎氏が「NOといえる日本」という本を出して、アメリカに楯突く。
とは言いながら、アメリカの支援がなければ何も出来ないこともご本人は理解していた。
さらに当時、ちょうどレーガン政権が終わり、湾岸戦争もはじまったところ。
ミノルタはハネウェルのオートフォーカスの特許で地雷を踏んだ(踏んだのは当時からミノルタが無能だと思った)。
ジャパン・バッシングもあった。
すべて政治の判断だったが、日本は小国なりの生きる術でもあったから、仕方ないのだろうと。
そこからバブル経済が吹っ飛びどんどん悪くなり、リーマンショックもあり、さらに悪くなり、サブプライムローンに投資したアホ銀行が負債を抱えて、それがまた国民のツケになったとも言えるだろう。

次に、仕事の量だ。

忙しい人は、何かと最短ルートを探して処理をするという法則に基づいて処理をする。
所長クラスになると、そういうのを見極めるのが長けてくるのだろうと(笑)

私が朝6時すぎに会社に入って、米国東海岸とのやり取り、そして就業時間が始まるときには米国西海岸と調整を取っているのを目の当たりにしてきたからだろう。

まして、自分の本の執筆に関して(業務とは関係ないにも関わらず)私に色々な調査案件を落としてくる。

私としては「部長を通してください」と伝えたけど「君の部長は私の部下だ。私のいうことを聞くしかない。」とナンと身勝手な(笑)

そんな激務をこなしながら日中はプリンタのハードとソフトの設計、プログラミング、デバッグをしていた。


正直なところ、二度とこんなことはしたいとは思わない。

三六協定?労働組合?ナンのこっちゃ?

こっちは海外との契約もあり、納期もある。

やるっきゃナイト!っていう根性論で仕事をしていた。

まぁ、おかげで色々と経験しました。

一番のショックだったのが、開発側でインテル製のチップで型番まで指定していたところ、工場側で互換性があり安くなるAMD製に知らずに切り替えられていて、市場で不具合が発生した。

もちろん、営業がプンプン怒った。

理由がまったくわからなかった。

開発側で現状、流れているものを工場から入手し、チップが違うことを突き止めた。

(´Д`)ハァ…

そもそもの原因は・・・実は開発側で、マシンが立ち上がったとき、各レジスタをxor(排他的論理和)でクリアしていなかったところで不安定動作に陥っていた。
インテル製のチップは初期化せずにもレジスタが0(初期化状態)になる仕組みだったがAMDだと0以外になっていることもあった。
これは私の担当範囲外だったが、対処するのは私の仕事だった。


そんな中、30年前を思い出してしまった。

今も昔も変わらない。

しかし、天気だけはマンガの世界でしか見なかった気温が今は現実になっている。

軽く35度を超える・・・熊谷・・・40度・・・ _ノ乙(、ン、)_