あまり過去を振り返ることをしたくないのは、
過去は変えられないから。
しかし、過去を見て、未来を変えることはできる。
今年、何があったかなって・・・
- 1月に3年間借りていた御徒町から退出した。
パンデミック中に2020年2月から上野5丁目に半分住んでいた。
御徒町、上野、秋葉原をぐるぐる回っていた。
多くの人たちが遊びに来てくれたが、家賃がバカ高いのと結局パンデミック、想像以上に発展が少なかった。
しかし、楽しかったのは言うまでもないし、記者クラブもビッグサイトも幕張メッセも1時間以内で行けた。
3年で1000万円は消えたw。
- 茅ヶ崎の自宅へ荷物を一人で運んだ
大きなもの(冷蔵庫、洗濯機)は差し上げた。
オーブンレンジも差し上げたのは失敗だったなって。
- 茅ヶ崎の自宅の電力契約数を40Aから60Aに変更した。
これでエアコンを2つ入れていても落ちなくなった。
以前は何もないときでも、2つ同時につけたらブレーカーが落ちた。
明らかに電気回路設計の失敗。
だからストレス解消のたあめに御徒町に暮らしたんだよ。
- 在日米国商工会議所に入会した。
ACCJのイベントにいくつか参加。
そして自分もACCJで在日外国人の葬儀について講演をした。
- 昨年末、奥歯が粉砕したので、3ヶ月掛けてブリッジとして治療した。
前後の歯を削って、一本のようにして被せる(橋渡しだから「ブリッジ」)
やっと奥歯が壊れるのが落ち着いた。
- 兄貴分の友人が亡くなった
ミノルタ時代に面倒を見てくれていた友人が亡くなった
お葬式をすべて手配した
- 八戸のシェアハウスの運営のサポートをすることになった
友人からのお願いで、対馬ルリ子先生を紹介してほしいと
そしたら、逆に先生からもご実家の八戸のサポートをお願いされた
- 八戸に平均的に月に1度は行くようになった
青森県を探検することになった、しかも車で移動するから便利
青森県の楽しさ、厳しさ、そして素晴らしさを体験した
- 出会いもあれば別れもある
八戸に出かけるようになったからではないが、新たな出会いができた
出会いがあれば必ず別れがある
後を追うことはしないと決めた
- ニャンコ関係で新たな出会いがたくさんできた
ネコつながりでどんどん新しい仲間ができたのと
ネコつながりの絆がどんどん強くなってきた
- エストニアのe-Residencyを取得した
大使館でカードを取りに行った
問題はどうやって銀行口座を作るかと質問された
それは、こっちが知りたい話だった
そのシステムに所属したら、サブスクで税理士の枝番の口座を作ることが可能と判明
しかし、何をするにも収益でないと無駄が多すぎて、年間20万は必要となる
これだと日本から参加するには魅力が半減するんだなって
- 日本葬送文化学会を退会した
副会長でもあった、常任理事として事務局の運営もしていた
その事務局で学会を回していた二人がブチギレて退会することになった
退会することができたおかげで青森や三河へ行くことができるようになった
- 愛知県と青森県の行き来が多くなった
愛知では奥三河、渥美半島、名古屋、常滑、瀬戸
青森では八戸、十和田、青森、そして津軽へ
- 三河にも行くことが増えた
ドローンの仕事や探検もあったり
奥三河が楽しくてたまらない
そこにこれから暮らすのはどうか疑問だが
チョウザメを食べにいくことも増えた
- 静岡の友人の仕事もサポート
中途半端に終わってしまって悔やみが残っている
静岡とは関係なく、別の友人で色々なイヤなことに巻き込まれてしまった
回らなくなってしまった
- 自宅の設備がどんどん壊れる
風呂が2回、レンジフード、トイレ、エアコン
TOTO、LIXIL、クリナップ、なんども電話
エアコンはもうどうしようもない
- 茅ヶ崎にもどったので、江ノ島水族館の年間パスポートを更新した
水族館へいくことが増えそうだった
4月からセカンドプレイス、サードプレイス、それ以上のところが欲しかった
しかし、まぁ、そうはならなかったけど
- 4年ぶりの台北に
パンデミックが始まって、最後に海外へ訪れたのが2020年2月のフィンランドとエストニア
そこから渡航禁止になって、更にロシアがウクライナへ戦争を吹っかけた
これで海外渡航はできなくなったけど2019年7月が最後に、4年ぶりに台北へ
- 日本外国特派員協会でクリスマスイベントを主催した
実際、78周年記念だが5年前の寄付金で運営
多くの人たちと出会いがあり、そして新たな人たちとの交流ができた
- ベトナム関係の仕事をスタートした
三河の友達に誘われてベトナム関係の仕事をサポートすることにした
ここも八戸との絡みを作った
開発会社なので、請負作業になるのだが、開発案件を探すことが必要になった
下請けというより100%請け負いなので顧客を探すのはかなり大変
- エージングテック・フェムテックにの首を突っ込む
実際、在日米国商工会議所関係と対馬ルリ子先生の関係になる
この分野は日本は進んでいるが、誰も本気で取り掛かっていない
外国から目をつけられているけど、外国人は日本人の気質と神経の細かさを理解していない
- SDGs Aichiに今年も参加
去年もだったが、今年は本格的に参加
おかげで中部国際空港前のホテルに何度も宿泊しているので、現場の勝手がわかるようになった
ここでも去年とのつながりの絆を強くした
そして、SDGsもAging TechもFem Techもみんな繋がっていて一つとして扱うことができる
- 膝をとうとうぶち壊した
11月にFCCJでミーティングやイベントの打ち合わせで小走りしていた
12月のイベントで当日裏方までやることになった
大勢の人たちを招いたので、走り回ったら次の日歩けないくらい痛みが出た
とうとうやっちまった
8年前の古傷のダメージがとうとう暴れ出した
- 本格的に仕事の種まきが増えた
これを来年は実らすことができれば収益につながるな
収益はすぐには見えないのがつらいがこれからだな
- 友人の会社を4月から手伝って顧客探しをしていた
これも上記のと繋がっているが、結局、友人の仕事も上手くいかなく終わりにした
欧米人は日本人の仕事のやり方と文化の違いを理解できないから足並みが揃わないんだよ
4月から8ヶ月続いたけど、12月は終わりにしようと告げた
- 最期に離婚した
27年9ヶ月続けた結婚生活に終わりを告げた
やっとだ
妻(前妻)を嫌っていたわけではなかったが、結婚と「戸籍」制度がイヤなんだよ
家族がほしくなった、家族ではないんだ、もっと楽なものが必要なんだ
でも、今から見ると息子は大切だし江理佳も大切だ
だが常に人の期待へ応えるばかりの暮らしはイヤだった
実家も含めて、そういう人たちからこの数年、縁を切ってきた
10年前の焦燥の年、焦燥の月、焦燥の日のケリをつけた