暖かい一日だったが

 

やっと寒くなってきたと思ったら12/1の今日はものすごく暖かい。
実際、茅ヶ崎の気温は20℃まで上がった。
暖冬なのか?と思わせる季節感だが、明日からまた寒くなる。

先週の金曜日から久しぶりに数日間、地元の茅ヶ崎へ戻ってきた。

自宅の整理整頓をする必要があったのと役所で印鑑証明書を取りに行く必要があった。

私の中では茅ヶ崎に自宅があるが、アウェイ感が今はある。
住んでいる御徒町も違和感がある。

理由は簡単だ。

会話が通じないからだ。


会話が通じないと人間は色々な悪さをする。

昨日、友人と久しぶりに会う約束をしていた。
途中でポッドキャストを聞いていて、なるほどなっていうのがあった。

自分も他人もどういう関係かを改めて考えさせる内容だった。

そんな話を昨夜、友人たちとしていた。

友人が法事で久しぶりに親戚と集まった。
中には、知らない人もいたらしい。
その友人は73歳だとのことで、実は私も驚いた。
そこは置いといて・・・

法事のあとにお寺さんが檀家と一緒にキャバレーに行ったらしい。
そこで、友人は驚いたらしい。
お坊さん、こんなことをするの?

私は、自分の従兄弟が僧侶だから、何も驚くことはなかった。
しかし、73歳の友人は、お寺さんは仏に仕える者として聖職者でもある(古いわ)のでこういうのはご法度と思っていたらしい

私は、それが檀家とお寺さんとのつながり(絆)を強くすることなので悪いことではないよと。
まして、それをやることでお寺さんはマーケティングをしていると。

つまり、今いる大切な檀家さんをつないでおくという防衛戦を貼っているんだよと。

友人は驚いた。


私は、その友人に「お寺さんは最善を尽くしているんだよ」と伝えた。

「最善」とはなにか?

最善を尽くしていない人はどういう人なのかの議論もある。

酒の場だったので、そこまでは説明しなかったが、必要悪なんだよと理解してもらった。

私としてはお寺さんも考え抜いて、そういう行動に出ているし、持ちつ持たれつであると。


今日も別の友人とこの話題が出た。

「最善」を尽くすことは、相手を許すことであると同時に自分も許すことであると。

そして自分にも優しくする必要がある。

多くの完璧主義者はそれが出来ず、結局ケンカで終わることが多い。

その役割は私達「支局長」があることであるんだよと。

それがカウンセラーであり、セラピストでもある。

実は、私は個性心理學研究所 GENESIS支局の支局長でもあり、カウンセラーでもある。

カウンセラーの仕事とは、相手を肯定し、更に相手の間違えにも気づきを与える。

間違えとはなにか?

それは「バウンダリー」である。

バウンダリーというのは、日本語で言えば線引である。

つまり社会的OKかNGかである。

許すということは相手を受け入れると同時に認めることである。

しかし、相手が犯罪者やテロリストだったら、それを自分は受け入れて許せるのか?という話になる。

許せる、許せないのとバウンダリーはまた違う次元である。

バウンダリーがあるからこそ法的・社会的にセーフかアウトかになる。

それは司法が決めることである。

我々「支局長」クラスの人間はそれを人に伝える必要があるだろうと。

個性心理學の話は弦本先生から出ている本を読めば語れる。

しかし、そこには知恵がない。

知恵は別のところで仕入れるしかない。

クラブハウスで無料で個性心理學の話題をやっても、知恵足らずで終わっている。

つまり、バウンダリー概念を用いて人の行動はOKかNGかと判断することが大切である。

そして更に大切なのは、人は自分なりにつねに精一杯生きていると認める必要がある。

認められないのは己自信が完璧主義者であり、自分にも他人にも厳しいからである。

そして、同じ意見を持っている人であっても、自分も否定されることがある。

それは、相手は自分を知らないからである。

汐風は夕方に流れる海からの風である。
湿っぽい、塩の味もする、ベタつく、さらに何かと切ない。

2021年12月1日

和田裕助